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皆様大変お待たせしました!オールドファン待望のF102のページがいよいよオープンです。 都合により、当面は、あえて完全な「メカ積み完成状態」ではなく、スケルトンの状態にて展示しておきます。 さて、この当時のF1シャシーは、当時の「セナvsプロストvsマンセル」に代表される 日本の第2次F1ブームが絶頂期だったという時代背景により、 今から考えると異様に短いペースでモデルチェンジを繰り返したのが特徴的です。 その最たるものがこのF102でした。1992年3月発売の「マクラーレンMP4/6(Item 58104)」で初登場したと思ったら 93年9月には後継のF103「ロータス107B(Item 58126)」が出てしまいました。 つまり、「現役期間」はわずか1年半しかなかったわけです。 |
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しかしこの間に、 ウィリアムズFW14(Item 58105、92年5月)、フットワークFA13(Item 58114、92年11月)、 ベネトンB192(Item 58118、93年2月)と立て続けにニューボディが投入され、この他にも ボディパーツセットがタミヤやサードパーティーから各種発売されていました。 この時期のF1は「密度」が非常に濃かったわけです。しかもツーリングカーと違ってパーツもボディも 簡単で安かった!ですから、現在のミニッツレーサーみたいな感覚で、新製品を片っ端から買っても あんまりサイフは痛くなかったわけです。かくいう筆者もボディはたくさん買ったなぁ・・・。 |
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なお、マクラーレンMP4/6はボディの人気が非常に高かったのに、版権の契約期間の関係があったらしく、キットもボディも
わずか2年で販売が終わってしまったため、「販売終了」のアナウンスがあった途端に店頭からあっという間に
消え、買いそびれた人が続出した記憶があります。94年にイモラで事故るまで、この時期は
「セナ様」人気の絶頂期だっただけに、「とりあえず持っとけ」という感じでストックとして買い込んだ「セナ様ファン」も
多かったんでしょうねきっと。 そんなわけで非常にレアなキットになってしまい、 オークションではスペアボディだけでも1万円近い高値で取引されるほどです。 限定品だったため「超」がつくレアアイテム「MP4/5Bボディセット(Item 49508)」に次ぐくらいの根強い人気があるようです。 当時のF1フリークの多くは、一時期こぞってMP4/6ボディ使ってましたものね。 |
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そんなこともあってでしょうか、2002年の春に、問屋の企画でMP4/6およびMP4/13ボディの再生産が行われ、
タミヤの口紙や「マクラーレン」の名前を廃した、海賊版っぽい形で流通したことがあります。
写真がそのMP4/6ボディです。ちなみに吉祥寺ユザワヤで購入しました。
口紙には書いてありませんが、ボディの金型にはしっかり©1992 TAMIYAとありました。
モデラーズギャラリーの再版ボディみたいな感じで作ったのでしょうね、きっと。 あくまでも「コッソリ企画」なので雑誌広告などには載らなかった「幻のアイテム」です(笑)。 「幻のアイテム」といえば、このシャシーもそう。1993年のモデラーズギャラリーで限定販売された 「F102用」のカーボンシャシーです。公認パーツとしてタミヤGPで使用OK、というのがキモでした。 |
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確か1枚8000円くらい。後のF103純正カーボンが6000円でしたからね。しかも、枚数が非常に少なくて
池袋東武のモデギャラでは10人くらいしか手に入らなかったはず。かくいう筆者も、モデギャラ2日目くらいの昼に
その話を聞いて、直ちに渋谷から池袋の東武に向かい、残り2〜3枚、というところでゲット! という感じでしたから。 当時、関東のタミヤGPの拠点として利用されていた、東急百貨店東横店屋上の「シブヤ・トップサーキット」で開催されていたタミヤGPでは、参加者が毎回 200〜300名くらいいましたが、カーボンシャシーなんて、静岡のタミヤサーキットとかで買ってきた人も含めて、 20名もいなかったはずです。全員、Aメインの常連でしたね、たぶん(苦笑)。当時は情報が偏在する「インターネット以前」の時代、 特に隠しだてしなくても、あんまり情報が広がらず、「知る人ぞ知るアイテム」でした。 |
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シャシー素材がFRPからカーボンになれば、重量も剛性も飛躍的に有利になりますから、ある意味「超ズルいアイテム」だったわけですが、
問題はこのシーズン限りで解決してしまいました。この年の9月にはF103が登場し、「お役御免」になってしまったからです。残念! なお写真では、シャシーのシルク印刷を保護するため、透明シールを貼ってあります。それから、サーボ取り付け用の「耳」ですが、実はこの時期、タミヤGPのレギュが急速に「無改造」に傾き、1993年シーズンからはメインシャシーは「一切無改造」になり、「耳」を落とすと失格、と募集要項にも明記されたので残してあるのです。実際にはタイロッドをセンターから取るためサーボステー使わず両面テープ止めでしたが。1991年までは「自作OK」、92年は「青山GPのみ無改造」というレギュで、かなり急ピッチで変更された格好です。実は1992年には、「タミヤ全日本」および「ユーロカップ」が初めて開催され、この93年からは「タミヤ世界戦」が始まりました。これがこの時期、レギュの透明化が急ピッチで進んだ背景です。 |
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実は、このページをアップした後、2005年8月の池袋東武のモデラーズギャラリーで偶然に「発見」したのが、 op.105「F1カーボンFRPシャーシセット」(92年3月10日発送、税別2800円)として当時ごく一時期、発売されていた このサンドイッチカーボンFRPシャシーです。発売は92年3月ということなので、マクラーレンMP4/6と合わせて出てきたわけですね。 もちろん見てのとおりF102用です。 渋谷にシブヤ・トップサーキットがオープンするわずか4ヶ月前の発売だったわけですが、供給量も限定的だったのか、 まさに「瞬間蒸発」という感じで在庫が払底したようです。タミヤの全面バックアップでRCパーツをフルに揃えていたハズの トップサーキットのショップですら、開店以来、1度も見る機会がありませんでしたし、 オークションでも出品例を見たことがありません。なのでお恥ずかしいことに筆者はモノの存在自体を 2005年の東武モデギャラまで認知してませんでした。トホホ・・・。 |
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モノとしては、FRPコアの表面にカーボン層を被せた中途半端なマテリアル。加工はFRP同様のプレス処理で切り端面が汚いし、 フルカーボンより重いし、剛性も低かった わけですが、当時はF1用の純正パーツとしてはFRPシャシーしかなかった時代ですから、これでも十分に 画期的だったわけですよね。F101にはFRPしかないけどF102にはサンドイッチカーボン素材がある、というのも 買い替えを促す材料になったでしょう。「なんちゃって」とはいえカーボンサーフェスはやっぱり見た目もクールですしね。 先述のとおり、翌93年のモデギャラにはフルカーボンシャシーが出てしまったので、「旬」の期間はおよそ1年ちょっとしか なく、タミグラでフルシーズン使えたのは92年だけ。正規の未開封のop.105パーツを持ってる人はかなりのエンスーかも!? |
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ところで、この頃からトップサーキットで流行したのが「モノトーン仕上げ」でした。もともとは92〜93年当時、
京商やヨコモのワークスとして活躍していた海野幸次郎クンの作例が模範になったのですが、常連の間で
どんどん進化して、アルマイト業者への委託を取りまとめる人まで出てきて・・・という感じでエスカレート。何から何まで
黒くしないと気が済まない人が続出(笑)。
ごらんの通り、ビス、ナットからダンパー、アップライト、ギヤまで、
ありとあらゆるものにアルマイトと染色をかけちゃいました。
もちろん配線も黒コードで統一です。このあたりの実例は「フェラーリ312T3復刻版」のコーナーでご覧いただけます。 ところでF102は、第4世代F1の初代モデル「F101」の重量配分を見直し、リヤのトラクションを重視してバッテリー位置を モーターポッドに寄せ、メインシャシーのクビれを増やして、よりテクニカルコース向けの特性にしたモデルです。狙いはズバリ、 当時人気爆発の「タミヤF1GPイン青山(青山GP)」など仮設コースでのイベントでした。F101はバッテリー位置が前過ぎて ヘアピンからの立ち上がりのトラクションが弱かったのです。 |
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逆に言うと、メインシャシーとTバー以外は基本的にF101のままで、
コンバートも極めて容易でした。射出成型グレードのポリカ樹脂製フロントサスアームは写真の通り分割式で、キングピンにバネを入れて
サスペンション効果を得る、いわゆる3Pサスを構成していました。 このサスアーム、クラッシュすると決まって後ろ側のアッパーアームが座屈するクセがありました。 軽い座屈はドライバーなどで起こしてそのまま使えましたが、だんだんくびれてくるので交換、という按配です。 それでも左右分割だったので片側だけ交換すれば良く、ある意味経済的でした。F103では一体型になりメンテナンスコストは 若干アップしてしまいました。良し悪しなんですが。また、このサスアームはキャンバー設定が適正でタイヤが片減りすることは少なかったように記憶しています。 何しろF103で一番ビックリしたのがタイヤの偏磨耗でしたから。 |