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ではここからは06年11月のタミヤフェアで展示されていた完成済み934シャシーの貴重なクローズアップ写真をご紹介します。RCTのコレクション(ニッカド仕様)との相違点に注意してご覧いただければと思います。 ポイントは、1)乾電池仕様である、2)キット標準の360モーター仕様である、3)乾電池+360ということでギヤケースがローギヤ仕様になっている(これはRCTコレクションと同じ)、4)オリジナルの基板式スピコンが装備されている(当然)、といったあたりです。 |
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電池ボックスは、当時の「楽しい工作シリーズ」の単二電池ボックスを流用したもので、
成型色だけが違っていました。当時は電池2個で1組となる形状でした。
現在販売されている分割式のものとは金型が異なります。 当時筆者は、「単二は四本しか入らないのに、なんでニッカドパックは5本ヨコに並ぶんだ?」と 不思議に思っていたものです。何のことはない、使われているセルのサイズが異なり、 ニッカドのほうがひと回り小さい「Sub-C」サイズであることを知ったのは、 かなり後年になってからのことでした。 |
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筆者はオリジナル934を箱出し状態から自分で組んだ経験はまだないので、少年時代に入手し保管してあった934の取り説を最近改めて紐解くまで気が付かなかったのですが、なんとこのスピードコントローラー、取り付けは電池ボックスに接着した樹脂製のステー(W部品の3と4)だけで支えられているんですねー! 驚いた。 実に単純な構造です。そりゃあ衝撃には弱かったでしょうなぁ〜。でもって、「電池ボックスがなくなったら使えないじゃん!!」みたいな(苦笑)。 | |
そうなんです。だから第2作「マルティーニ・ポルシェ935ターボ」とタミヤカドニカ6Vパック(5セル)の発売(ともに1977年8月)以降、934オーナーが935のスピードに対抗するためには、sp.10の2段変速スイッチ&sp.13のカドニカホルダーが「必須」となったわけです。電池とニッカドじゃあ、パワーも速度も「月とスッポン」ですから当時のユーザーは雪崩を打ったようにタミヤカドニカとともにsp.10とsp.13を求めたわけです。そういえば当時、筆者の行きつけのショップでもタミヤカドニカと540つきギヤケースの入荷を待ちわびる客が列をなしていたことをよく覚えています。 | |
934の基板式スピコンがあっという間に絶えてしまったことも、以上の流れに着目すれば納得です。実はタミヤの社内記録ではsp.10とsp.13の公式な発売時期がハッキリしないようなのですが、以上の経緯を考えると、秋の全日本ホビーショー後の77年11〜12月頃には発売されていたのではないかと思われます。クリスマス〜正月という書き入れ時をみすみす外すハズもないですからね! | |
基板から写真左側のリード線が伸びている部分の下に出ている板は、スピードコントロール用サーボ取り付け(両面で貼り付け)のステーです。 このように、ドコを探しても抵抗器のようなものが見当たらず、一体どうやって変速していたんだろう? ととても不思議だったのですが、「電池ボックス専用」というのに気が付いて、上述のとおり、電池ボックスのつなぎ方を単純に直列と並列に切り替えてただけなんだな、というのに気づきました(遅いって)。コレなら電池のムダもないですし、固定抵抗が不要な分、軽量化にもなってます。いやはや、恐るべしグッドアイデアです。 |
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これまた934専用の装備となってしまった、RS-360モーター。RC用ということでエンドベルにノイズキラーコンデンサーを装備しています。一般模型用に箱売りされていたものとは異なる、タミヤ向けの特注品です。昔のタムテックF1や今のタムテックギア用に使われている370モーターよりもちょうどひと回り大きい感じのモーターです。 | |
934は電池駆動が前提だったので、消費電流が少ないこのサイズが選ばれたわけですが、「マルティーニ・ポルシェ935ターボ」以降はニッカド前提になり、パワーが一段と大きいRS-380Sが標準になりました。ただ、360と380はモーター缶の直径が同じ、モーター取り付け穴位置も共通だったので、934に380Sを後付けするのは簡単でした。 後に、軸受けに1150ベアリングを装備したsp.59「934/935 540モーター付きギヤケース」(1978年5月発売、2400円)や各種スポンジタイヤが発売され、更なるチューンアップが図れるようになって行くにつれ、 シャシー側の剛性不足が目立つようになり、アクセルを開けると「ピョコピョコ」とシャシーをハネさせながら、そこらへんの駐車場やら家の軒先やらを爆走していたものです。今と違って自家用車の普及台数も少なかったので、クルマの通らない道で走らせることも日常茶飯事な、のどかな時代でした。 |
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さて最後に、これも06年11月のタミヤフェアの模様ですが、タミヤRC30年間の系譜を紹介したブースから 電動RC黎明期の様子を伝える貴重な資料の展示をご紹介しておきましょう。 | |
これは他社のモデルが表紙を飾っている76〜77年頃のムック本。
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77年末〜78年初め頃 |
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78年夏頃 |
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コレはモデル的には「934以前」の76年暮れ以前だと思われますが、詳細は不明です |
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こちらは78年末〜79年初め頃
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ナゼか途中がなくて、いきなりフォックス(85年10月発売)が表紙を飾る80年代後半の出版物にブッ飛んじゃってました(笑)
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カタログムック本に掲載されていた、934/935の紹介と10万台販売突破記念「ブラックポルシェ934(Item番号なし、定価1万円)」の写真 |
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以下は上ページ各部のクローズアップです。ノーマルギヤボックスの軸受けメタルがリン青銅製、変速スイッチの接点がベリリウム(ホウ素)と銅の合金だったなんて知りませんでした。へぇ〜。 |
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934/935の概要説明が読めます。 乾電池走行だとスピードは時速7〜8km/hと極端に遅くなりますが、走行時間は35〜50分を確保していた、というのには思わず納得です。当時はマンガン乾電池でさえ高価なモノでした。確か単二が1本で200円はしていたと思います。4本使おうと思ったら1000円くらいかかったわけです。今の貨幣価値にしたら2000〜3000円くらいになるでしょう。それが数分でポンポンなくなってしまったのではかないません。でも30分も持てば、まぁ許せるんじゃないでしょうか。ちなみに、アルカリ電池なんて、単二が1本4〜500円したはずで、誰も買わないから置いている店自体がなかったし、置いている家電専門店でも在庫が限られてて大量購入なんてムリでした。ホント、100円ショップにパックでゴロゴロしている今の状況なんて、30年前には想像もできなかったです。 |
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ついで話ですが、934と935はギヤ比は同じなんですが、タイヤ径が違いました。レース専用車両の935のほうがタイヤ径が大きいのです。なので、934のモーターを935と同じRS-380Sにグレードアップしても、最高速はタイヤ径の大きい935のほうが速くなる、という算段でした。初期のタミヤGPでは935のタイヤを使わないと勝負にならなかったでしょうね、きっと。 左の図面は、非常に貴重な設計時の934用シャシー全体図面(コピー)の展示です。 |
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当時はCADなんて当然ありません。すべて手書きです。当時の設計技術者のお約束アイテムといえば「ドラフター」(笑)。日本製なのに世界中で愛された、超優れモノの製図器具と定評があったものです。筆者は中学の技術の授業で製図をしただけですが、ドラフター買って自分のRCカーを設計したいな〜、とホンキで思っていたものです。幸か不幸か、今まで設計の仕事に携わることはありませんでしたが(昨年、仕事絡みでCADの図面引き手伝いを危うく?手がけそうになりましたがー<笑>)。 |
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図面の日付には昭和51(1976)年5月13日、とあります。934は同年5〜6月頃開催?の静岡ホビーショーで発表され、半年間の熟成・生産準備期間を経て76年12月4日に発送が開始されました。発表直前ギリギリまで図面を書き直していたことが垣間見られます。「S-1/1」というのは「等倍(実寸)スケール」ということでしょう。 |
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当時の雑誌記事のなかに、1977年から最初の約1年間だけ使用されていた、幻の「初代タミヤサーキット」の貴重な写真を見つけましたのですかさずチェックしちゃいました。 |
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このサーキット、1978年には既に現在の三角形のタミヤサーキットが建設されて移転してしまったので、当時走った経験のある方はもうすっかりいなくなってしまってるんじゃないかと思います。何しろ当時40歳だったらいまや70歳近いワケですからねー。筆者が初めてタミヤサーキットに挑戦したのが1982年の夏(第18回タミヤGP)でしたから、もう全然、初代サーキットなんて話題にすらなってませんでした。写真で見ると、広々としていい感じなんですけどねぇ。ダンロップブリッジも懐かしい。 |
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こちらの記事には、セリカLBターボ(78年11月発売)などが写っているので、1979年頃の様子でしょう。 この頃、アツくRCを楽しんでいた方々は、一体ドコに行ってしまったんでしょうか・・・。 |