「ポルシェ956」というクルマは、当時のレースフリークにとっては、特別の思い入れがあるクルマでしょう。量産を前提としない「プロトタイプ車両」による耐久レースが「グループC」として規定されたのを機に、「耐久レース専用車両」として当時ターボエンジンで大成功していたポルシェが開発したわけですが、ポルシェが凄かったのは、この高性能マシンを、乗用車のごとく定価を決めて、プライベーターに「市販」したことです。しかもその信頼性・整備性・耐久性も乗用車並みで、他メーカーと比べるとズバ抜けていたのでした。要するに、「カネさえあればル・マンで勝てるクルマが誰にでも(一応、条件はありましたが)手に入る」というのを本当にやってしまった訳です。しかも、長時間走行でのドライバーの疲労にまで配慮したらしく、乗り心地も意外に良かったようで、後日、アウトバーンを特別に956で走る企画が「Car Graphic」誌であったほどです。
ポルシェ伝統の水平対向6気筒エンジンを活かしつつグラウンドエフェクト効果を最大化するため、尻上がりにエンジンを傾斜マウントしたり、ノーズ下面の境界層制御のためフロントアクスル手前のフロアを凹形状にしたりといった、ライバルの一歩先を行くエアロ設計と相まって、長期にわたり無敵を誇った傑作マシンでした。 |
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バカ売れした実車は、当然ながら耐久レースで大暴れ。もちろん、最新スペックを持つワークスが一番速いことが多かったわけですが、ヨーストなど有力なチューナーはワークスを食ってしまうほどの力を発揮し、これが今日に至るメーカーとの密接な関係を築く礎になったわけです(そういえばバイクの「ヨシムラ」の成功も似たような話ですよね。古今東西、チューナーがメーカーに認められていくプロセスは同じ、ということなんでしょう)。 そんなわけで、模型のほうでもポルシェ956は大人気。いろんなメーカーからキットが出ました。 しかしそのなかで、タミヤはかなり出遅れていました。キットの内容も、雑誌などで最新スペックの他社マシンを見慣れていると、ものすごく古臭い(1〜2年落ちのデザイン)感じがしました。Tバーのない3Pサス、フリクションタイプの |
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リヤダンパーユニットなどの設計は既に「時代遅れ」という印象でした。
(この前後に出てきた京商ファントムEP・4WDもTバーレスだったんですが、あれは四駆でしたから)。 実はこのキット、当時からあまり売れなかったそうです。だからオークションに出てくるデッドストックが 多いんですね。タミヤGPが開催されるような地域や、レースイベントが盛んだった大都市ではそれなりに売れたのでしょうが、地方では売れなかったでしょうね。1984〜85年頃といえば、既にバギーに人気が移りつつあったのと、オンロードでもファントムEP・4WDが猛威を振るい始めていたのと、田舎ではタミヤGPのような「タミヤ車を使う必要があるイベント」もありませんでしたので、「買う理由」がなかったんですね。当時、行きつけのショップで「いつ売れるかな〜」と思いつつ、いつまでも棚にあった956がすごく印象に残っています。 |
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ただ、956を「タミヤ車/タミヤGPの歴史」という観点から見た場合には、かなり良い評価もあったように思います。 決して「攻めた作り」ではありませんでしたが、こんなに実戦的なクルマをタミヤが出すなんて(社内でOKが出るなんて、ということですが)、当時のタミヤユーザーは誰も期待していなかったでしょうから、発表時に喜んだタミヤファンは多かったのではないでしょうか。 カンナムローラ(1980年)を出す以前から、「タミヤ車=タミグラ以外で戦えない(パーツ入手が確実で安心だから買ってるだけ)」というイメージだったわけですが、「956」はそのあたりの悪いイメージをある程度は払拭できたでしょうし、従来より格段にレベルアップしたキットを得て、タミヤGPのレベルも大幅に高まったのではないかと察します。さすがにオープンレースでは戦闘力不足でしたが。 | |
シャシー設計に影響した時代背景についても触れておきましょう。当時、IFMAR/JMRCAが主催する世界戦や全日本選手権など、いわゆるオープンレースの世界では、「レース時間の延長による走行速度の抑制」がテーマとなり、確か1982年頃の世界戦から8分の時間レース制が導入され、日本でも83年頃から880gの6セルによる8分規定が導入されました。(タミヤでも956の発売より半年前の83年11月に「540ブラック・エンデュランス」モーターが発売されましたが、このルール改正を踏まえてのものだったはずです)当時の雑誌では、全備1000gを超えるようなクルマをいかにして880gに抑えるか?ということで、極限的なパーツの削り込み等が雑誌で披露されていました。 ところが、この「880gの壁」をストック状態でいとも簡単にブレークスルーして見せたのが、 あのアソシ「RC12C」でした。サスブロックなど、ナイロン製パーツの多用により大幅に軽量化したそのシャシーは、「美しい」というより「無骨」な印象でしたが、世界戦で優勝し、以後今日に至るまで細かな改良を積み重ね、常に1/12オンロードレースシーンの中心にあることは皆様ご存知のとおりです。 |
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以後、1/12オンロードシャシーの設計には、ナイロンやポリアセタール、ポリカーボネートといったエンジニアリング・プラスチック(エンプラ)が積極的に採用されることになりました。タミヤの「956」でも、サスアームなどにナイロンを採用し、ボディで衝撃を受け止める「発想の転換」によるバンパーの小型化、剛性の高いダブルデッキ型シャシーの採用などで大幅な軽量化を達成しています。また、6VのRCメカ電源を7.2Vの走行用電源と共用するレギュレータの採用でRCメカ用別電源を省略、アソシRC12ばりのスピードコントローラーの小型化や8分走行に対応した低消費電力タイプの「ブラックモーター・エンデュランス」の採用などによって、「8分レース対応パッケージ」となっているのです。 | |
さらに、シャシーが剛体となったため、路面追従性を確保するために別途サスペンションが必要になり、アソシRC12に習った3Pサスシステムも導入されました。ただ、「ブラックモーター」は定価3000円と当時にしてはかなり高価なモーターでしたし、
「956」では「即戦力」を意識してフルベアリング装備だったので、この部分でかなり割高感があったことも
確かです。そこで、すぐに自分で組み込めるフロント回りなどのベアリングをメタル軸受けに置き換え、
モーターも540にスペックダウンしたのが、Mk.6/7(トムス84C/ニューマンポルシェ956)です。 基本的にはそういうことなんですが、細かく見ていくと、Mk.5ロスマンズ956の初期ロットではアルミ製だったフロントボディマウントや |
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サポートステー(メカポスト)がナイロン樹脂製になったり、シャシーのモーターポッド前の切れ込み(Tバーに相当)を増やしてストロークを増量したり、トムス84Cに限っては、リヤのボディマウントが当時流行った別体ウイング(後年、IFMAR/JMRCAで禁止されて廃れました)を装着できる形状に変更されて色も白になったり、と細かい変更が見受けられます。 あらかじめお断りしておきますと、写真撮影に使用しているシャシーはトムス84Cキットのものです。 ですからニューマンポルシェ956とは共通ですが、ロスマンズカラーの956(Mk.5)とは |
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上記のとおり、(1)軸受け、(2)前後ボディマウント、(3)サポートステー(メインシャシーとアッパーデッキをブリッジするマウント)、(4)モーター、(5)メインシャシーのカット形状、の5項目で仕様が異なっています。詳しくは個別に解説していきます。 Mk.5とMk.6/7の違いを決定付けているのがメインシャシーの形状です。左の写真は、sp.246「トムスシャーシ(1200円)」として別売もされたMk.6/7のもの。 |
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ちなみに第三世代の第1号、Mk.5に付属のメインシャシー(sp.220、1200円)は、下の写真のとおり、シャシー前側のくびれが小さく、モーターポッド手前のカットも少ない形状です。 カンナムローラなどもそうだったんですが、当時は、超フラットな「理想的路面」であるタミヤサーキットでちゃんと走ればそれで良し、という、かなりレーシーな感覚で開発されていて、確かにタミヤサーキットでは良く走ったのでしょうが、当時レースシーンの主流だった「駐車場」などに行くと、シャシーがハネまくり、リヤグリップ不足で全然ダメ、というケースがありました。それで、路面追従性を改善するためMk.6〜7では新しいカット形状を採用したと。走りに関してはよほどのバリ食い路面でない限り、sp.246「トムスシャーシ」にコンバートしたほうが好結果が得られたケースが多かったはずです。まだ「タミヤアンダー」という言葉もなく、リジェなど第2世代F1やF2モデルを除くと、かなり曲がる方向でシャシーを設計していた時代でした。 |
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こちらはMk.5/Mk.7で標準のリヤボディマウント。部品番号0115036「N部品(バンパー、Fサスアーム)」に付いているのでMk.5〜7に共通で付いてきます。トムス84Cは別体ウイングがあり、ウイングステー(針金)を通すための貫通穴があってボディストッパー位置も固定となっている白いタイプの専用ボディマウントが標準ですが、ポルシェ956のキットは別体ウイングがないので、黒くて貫通穴のないボディマウントが標準です。いずれも素材はナイロンです。 トムス84C用のリヤボディマウントはsp設定がなく、レストアには部品番号9405177「ナイロンバンド袋詰」または部品番号3405025「トムス84Cボディマウント(単品)」を入手するしかありません。近年、復刻再販されたのでカスタマーサービスに在庫あるかも。 |
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ではここからはシャシー各部の詳細を見ていきましょう。
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メカ積みしていないスケルトン状態なので、ステアリングリンケージの取り回しが分かりずらいですが、キット指定では、写真のように、
アッパーデッキにサーボをナイロンバンドで止めて吊り下げ、ロワデッキ付近からロッドを出すスタイルになっています。
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アップライトは、58019ウィリアムズFW07/58020JPSロータス79(競技用SP)以来、今日まで「定番パーツ」として使われ続けている、インラインタイプの白ナイロン成型品(現行品はsp.395 RDフロンアップライト)を採用。Mk.5〜7シャシーでは、真鍮製の4mmピロボールを下側に出してボールアジャスターで受けるのがキット標準の組み方です。 タミヤに限らず、初期のRCシャシーは、左右のアップライトが独立してシャシーに組み付けられ |
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ていました。そうすると、 シャシーのたわみによって、タイヤにはどうしてもネガティブキャンバーがついてしまい、偏磨耗の原因になっていました。 シャシーがダブルデッキになってたわみに強くなり、問題は解消しましたが、むしろRM系の第三世代シャシーでは、 この問題を積極的に「セッティングポイント」と捉えていた?のでしょうか、ネジ穴が楕円状に開けられています。 つまり、ある程度強引にメインシャシーを曲げてネジを締めてやれば、 キャンバー角を微妙に変更できたのです。実際にやる人がどの程度いたかは知りませんが・・・。 | |
第3世代RMシャシーでは、ナイロン製の専用ホイールが新設計されていました。1/12オンロードレーサーでは今もそうですが、
当時からホイールはクラッシュしても破損しにくい軟質ナイロンが主流でした。タミヤの初期の1/12用ホイールはABS製でしたけど。
で、コレを染料で染めたりするのも流行ったわけです。ナイロンは「煮ると強くなる」とされてますし。
当時はまだ両面テープといった便利なモノはなく、ゴム系接着剤でタイヤを接着してました。 ゴム系接着剤での接着は、一見するとホイールが使い捨てになりそうですが、アセトンやシンナーに浸しておくと、 ひと晩で簡単に剥がすことができるので、むしろ好都合でした。 カツカツレースでなければホイールの使い回しは日常的に行われていたと思います。 少なくとも、今のツーリングカーのように「タイヤ1セットごとにホイール買い直し」ということはなかったです。 地球にもおサイフにも優しい、いい時代でした |