(posted on Aug 17, 2006)
(updated on Nov 6, 2007)
タミヤRC製品・即買いカタログ
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TA01


入門用4駆バギー「マンタレイ」をベースに、
サスアームとドライブシャフト、タイヤ、ダンパーステー、ボディマウントを変更、
これまでほとんど注目されていなかった「ハコボディ」を
従来の1/12よりサイズ的に余裕のある「1/10スケール」で展開する
プラットフォームの第1号となったのが「TA01」シャシーです。



ギヤ比一覧表

ボディ写真は割愛していますが、写真の個体は、もともとはシリーズ第3弾の 「メルセデス・ベンツ190EエボリューションUAMG」(Item58108、92年6月23日発送、1万5800円) から組み立てたオンロード仕様です。

例によって、TA01系も発売時期により個々の製品仕様が微妙に異なっています。 ただ、第1弾「トヨタ・セリカGT-FOUR RACラリー優勝車」 (Item 58096、91年7月30日発送)から第2弾「ニッサン・スカイラインGT-Rニスモ」(Item 58099、91年10月16日発送)、 第3弾のベンツ、そして第4弾「シュニッツァーBMW M3スポーツエボリューション」(Item58113、92年10月28日発送)までは、 果たしてどれだけ売れるのか手探りの中での商品化だったからでしょう、 シャシー仕様はすべて共通でした(ボディ、タイヤ、ホイールは当然違いますが)。 CVAダンパー(初代)の成型色も同時期のF1(F102)やCカー(ニッサンR91CP)と共通のブルー成型品が採用され、 徹底して販売リスクを避けた合理的なパーツ構成でした。
翌93年2月から発売された第5〜6弾の「フォード・エスコート」「ランチアデルタ」以降は、 ラリーモデルにはダンパーエンド部をピロボール化した「CVA(II)」ダンパーが採用され、 ラリー用とオンロード用の仕様の区別が始まりました(オンロード仕様モデルは TA02に切り替わるまでブルーCVAのまま)。 ラリー用のバネはストロークを伸ばせる ソフトタイプ(部品番号9805484)となり、後にCC-01リヤ用としても転用されています。 また、エスコート以降のTA01ベースのラリー仕様は「入門向け」の位置づけが強化され、専用形状のアンダーガード風バンパーと 固定長タイロッド、ボディマウントをセットした「N部品」が新たに追加され、アジャスター式タイロッドは廃止されました。 特に、固定長タイロッドは93年以降に発売されたTA01ラリー仕様とTA02ベースのレーシングトラック(トヨタ・プリランナー等)のみの 特徴的な装備となっています。 一方、オンロード仕様は従来どおりボールアジャスター式タイロッドを装備し、ラリー用よりもレーシーな設定でした。

その後、93年11月の「アルファ155」でTA02にスイッチ。 この頃まではホイール寸法はすべて共通(今でいうオフセット0mm)でした。
冒頭にも書いたとおり、このシャシーのベースは入門用四駆バギーの「マンタレイ」です。 「ホットショット」 から続く「タミヤ伝統」のシャフトドライブ四駆モデルです。当時まだ現役だったアバンテ系を捨て、 マンタレイをベースに選んだ理由は、「コスト」だったのでしょうが、 結果的に、新世代シャシーを選んだことは正解でした。ギヤ等の消耗パーツやoptパーツの供給も潤沢で、使い回しも効いたので、 バギーユーザーのスムーズな導入が図れました。当初は「色モノ」扱いでオッカナビックリでの 市場投入だったことを考えると、「失敗しても痛くない範囲」で新パーツを投入し、新しいジャンルを切り開いたことは 、非常に手堅いやり方でした。オフでもオンでもどこででも走れる「セリカ」をまずは店の棚に置いてもらい、 新しいカテゴリーに馴染んでもらったうえで、「GT-R」という、誰でも素直かつ無条件に「欲しい!」と思える 強烈なタマを第2弾として打ち込んだことで、大ブレイクしたわけです。
まさに絵に描いたような「商品企画の勝利」と言えますが、実際には当時、ツーリングカーが 世界選手権を開催するほど人気になるとは、誰も思ってませんでした。何しろ「重い(1600g)・高い(定価15800円)・ 走らない(タイヤグリップ低すぎ)」の三拍子揃った「色モノ」でしたから(笑)。 だからこそ、非常に手堅いやり方で、反応を探りながらゆっくり新モデルやoptを投入していったわけです。リスクを冒さず、 新設計のパーツ点数を絞り、基本的に2年近く固定された仕様のままで、 ボディバリエーションも当初は非常に絞って販売していたのです。

サイズ選択にも「先見の明」がありました。既に始まっていたバッテリー容量アップの流れを見据え、 従来の1/12スケールではなく、1/10で展開したほうが、将来的なパワーアップにも無理がない、と判断したのです。 当時はまさか、将来の発展モデルが、ニッケル水素の4300セルで8ターンとかをブン回してMax時速80kmとかで疾走するなんて、 夢にも思わなかったでしょうが・・・。
今でこそ、「TA01」という呼称が与えられているこのシャシー、実は発売当初は、 単純に「四駆ツーリングカー」と呼ばれていたのでした。当時のタミヤでは、 「シャシーとボディは一体不可分のモノ」だったからです。

海外メーカーでは、既に70年代から「シャシーとボディは別々に買う」というのが常識で、 80年代にはプロトフォームといったボディ専業メーカーも出てきていましたが、 「ユーザーに親切な商品作り」を何よりも大切にしていたタミヤとしては、「ボディとシャシーのセット販売」は 「譲れない一線」だったのでしょう。その影響か、80年代までは、他の日本メーカーも押しなべてキットへのボディ同梱が主流でした。 多くの海外メーカーと違って、日本のメーカー各社には、ボディもシャシーも高いレベルで 設計・製造できる力があったことも大きかったとは思いますが。
ところで、この時期(1991〜2年頃)のタミヤといえば、「バギー&ミニ四駆ブーム景気」で稼いだ豊富な資金を背景に、 新社屋の新築、アメリカ現法の立ち上げをはじめとする社内体制の大改革を推進していました。

RCユーザーに直接関係することとしては、CAD/CAMの導入が始まり、開発の短期化とコストダウンを良いことに(苦笑) 新製品の発売ペースがどんどん加速していったことが特筆されます。それでも、まだTA01/02の頃はCADは2次元レベル、CAM利用も限定的で、 新製品の数も節度あるペースだったのですが、その後、ミニ四駆ブームがしぼんだ90年代半ば以降は、そのシワ寄せがRCにドッと押し寄せ、 まさに怒涛の勢いで新製品が出たので、完全に消化不良状態に。お店も含めて、誰も追い付けなくなってしまってました(苦笑)。
このことは、キット番号の推移を見れば一目瞭然です。 第1号キット 「ポルシェ934」(76年12月発売)から100作目の「トップフォース」(91年11月発売)までは、 実に15年もの歳月がかかりましたが、これに対して、200作目の「TA03Fデビッドジュンスペシャル」は97年11月発売と キット数が倍増するのにわずか6年。さらに2000年前後からは3次元CADが本格的に動き出し、 「タミヤRC30周年」の2006年中には定番キット数だけで380を超え、400に迫る勢いです。

タミヤがRCモデルを手がけた当初から、ごく一部の例外を除くと、タミヤではほぼ常に、 同じシャシーで装備の異なる「上位モデル」と「入門用」を用意し、それぞれに別のボディをあてがうことで モデルバリエーションを確保する、という手法を採ってきました。 しかし、このやり方ではバリエーション展開にかなり制約があることも確かです。シャシーもボディも多様化し、 組み合せが増えたことで、在庫リスクは乗数的に増加しました。ボディとシャシーの切り分けは 必然的な流れでした。
実際、95年7月には、タミヤ初のシャシーキットとしてF103RS(58156)とTA02(58157)が相次いで発売されましたが、 当初、TA02が93年11月に「アルファロメオ155V6TI」として発売された際には、そこまでの考えがあったかどうかは 分かりません。当時は単純に、新シャシーだから「02」と名付け、もともとの「四駆ツーリングシャシー」は、 後付けで「TA01」と呼んだだけ、と理解されていました。タミヤにも シャシーキット出して欲しいという要望は当時からありましたが、現実にやってくれるとは 誰も期待してなかったと思います。

ちなみに、シャシー呼称は、 F-1シャシーで1992年から「F101/102/103」という呼称が導入されていましたし、93年7月から発売されていた 「出光MOTION無限シビック」でも「FFシャシー(当時、後にFF-01)」という呼称が与えられていました。このため、 ツーリング系への呼称導入も特に違和感はありませんでした。
決定的だったのは、 当時テレビ東京系で放映していた「タミヤRCカーGP」の「RC情報」コーナーでの滝博士のアルファ155の説明でした。 「新シャシーはTA02と名付けました。そこで従来のシャシーはTA01と呼ぶことにします。みなさんよろしくね〜」 といった内容でしたが、コレだけのことで、その日から一斉に、全国のタミヤファンはシャシー呼称を周知したのです。 テレビってそういう点では本当にスゴいですね〜。

***


さて、写真の流れもちょうど個別のクローズアップになってきたところで、そろそろシャシー各部の解説に 移りましょう。まずは例によってフロント側から。
バンパーは「マンタレイ」の形状を継承し互換性もありますが、ツーリングカー用に起こされた新しい型(E部品)で、 ボディマウント用?の穴が追加されています(Cカー用の六角マウントが付きそう)。 ただしバンパー上のボディマウント穴を使うキットは実際には登場していません。

前後バルクヘッド部品は、基本的には「マンタレイ」と同じですが、ダンパーステー形状だけ違います。 このため、金型は前後とも新たに作られたものです。

成型色が「赤」なのは、マンタレイ系のバルク部品と間違われない ようにするための「タミヤらしい配慮」だったようです。ダンパーの青といい、チグハグなグレーのバスタブといい、 あまりに賑やかな配色は賛否両論あったと思いますが・・・。もちろん筆者はこの色は「ダメ」で、 速攻でマンタレイの黒パーツへの交換と「染め」で対応してましたけど・・・(苦笑)。
TA01のオンロードモデルでは、ダンパーはネジで取り付ける「初代CVA」タイプが採用されていました。 フォードエスコート以降のラリーモデルでは例外的に、ピロボール取付タイプの「CVA-II」を採用しましたが、 これはダンパーストロークが欲しかったこともあったようです。動作もCVA-IIのほうが格段にスムーズでしたし。

この後、初代CVAは、同じブルー成型品を採用していたF-102系F1キットの生産終了などもあって 徐々にフェードアウト。TA02からはCVA-IIへ全面移行しました。

Cハブ、キングピン、赤いアップライト等はマンタレイの流用です。 アップライトは「ホットショットII」(Item 58062)から採用されたもの。初代ホットショット とは微妙にリブ等の外観は異なりますが、基本的にベアリング位置やキングピン等の寸法は変わっていません。
「初代ツーリングシャシー」ということもあって、設計はかなり無理繰りというか、練り切れていない点もありました。 フロントサスアームはそのひとつ。非常にスパンが短く、アライメント変化が大きい点が、走りに影響していました。 この点は、次のTA02/FF-01でロングタイプのサスアームに変更されることで、一定の解決を見ました。TA03でもほぼ同じ サスアーム長を継承したのは、「この長さでいい」という判断の表れでしょう。

しかし、タミヤがTA02やTA03を販売している間に、世の中では、操縦安定性を高める重要な要素として、サスアームのロングスパン化が年々どんどん進んでいきました。 その流れを受けて、タミヤでも、TRF414/TA04、 TRF414M、そしてTB-Evolution IVと、 「これでもかー」というくらいサスアームを延ばしていくことになります。
また、TA01/02はその生い立ちから、バギーのDNAを引きずっている部分が散見されることも特徴です。写真は、フロントサスアームに バギー由来の強いスキッド角が設定されていることを示したものです。

フロントサスアームのスキッド角は、当時の他社のツーリングモデルでも同様でした。1991〜92年当時はまだ、 必ずしもオンロード走行を前提にしたシャシー設計ではなかったため、コレで構わなかったのです。 しかし、1994年頃からJMRCAでツーリングカーによる全日本選手権が開催されるようになり、 オンロードでのスピード追求の流れが強まってくる中では、やはりこのような設計のままでは走行にも悪影響が出てしまうため、 各社とも、オンロード専用設計の、ゼロまたは非常に少ないスキッド角を持ったシャシーを設計するようになっていったのです。
TA01/02では、キャスター角もマンタレイのままで、確か12度だったと思いますが、かつての「カウンタック競技用スペシャル」を 彷彿とさせるような、非常に強いキャスター角が付いていました。95年6月に、10度と4度が選べるop.226アルミハブキャリアが出て、 この問題は一定の解決を見ましたが。

昔の初代「競技用スペシャル」シャシーもそうでしたが、 キャスター角が大きいシャシーをオンロードで走らせると、キャンバー角とのアンバランスが生じて極端にタイヤの内側が片減りしてしまい、 タイヤ寿命に悪影響を及ぼします。昔はスポンジタイヤでしたから片減りしても構わなかったんですが、ゴムタイヤでコレは 結構痛い問題でした。特に、optのハイグリップタイヤ「スーパースリック」を装着すると、夏場の食う路面だと、1700バッテリーで わずか10パック程度で、あっという間に穴が開いてしまったのです。 今どきの4000mAh級のバッテリーなら、わずか4〜5パックの寿命、ということです。ヒド過ぎるぅ〜(笑)。
そんな「泣き」もありましたけど、全体としてはTA01/02シャシーのデキは良かったと思います。 何しろ、確か2001年だったと思いますが、JMRCA全日本ツーリングカー選手権の本大会で、TRF414やらヨコモやら HPIやらアソシやらといった並み居るハイエンドシャシーを差し置いて、堂々、中位(E〜Gメインくらい)あたりの 決勝順位をTA02で確保した選手が出たくらいですから。TA01はともかく、フロントロングサスと重心位置の改良 (TA01の40:60からTA02では45:55へ)で基本性能を改善したTA02は、その後に出てきたTA03より良く走るくらいでした。 ステアリングのガタが断然TA03より少なかったし。駆動効率もTA03よりむしろ良かったし。 急激に販売の勢いを失ったのは、TA03の発売後間もなく、 タミヤGPへの出走ができなくなった点が大きかったように思います。でなければ、もっとロングセラーになったハズなんですが・・・。 まぁ代わりにTA03が売れなかったでしょうけど・・・(苦笑)。







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